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第4話「エルメスの伝言」-R50ショートストーリー-

第4話「エルメスの伝言」-R50ショートストーリー-

小さめだけど、日当たりだけは最高な1LDKの仕事場兼自宅。 次作の打ち合わせのために、わざわざ来てくれた橙人舎文芸編集部の谷崎さんが、わたしが淹れたアールグレイを飲みながら言う。

「前号の短編、お世辞抜きでサイコーでした。 特に雨の公園でのお別れのシーン。さすが先生、ぞくぞくしちゃいました」

「ありがとう。でも”先生”はやめてね」

 先生は気恥ずかしいが、自分が書いたものが、少しでも誰かに届いたのならば、やはり嬉しい。

「60代の恋愛をちゃんと書ける人って、陽子センセイ以外にはホントいないんですよねえ」

 雨の公園で山崎 誠とお別れしてから5年。あのときは、まさか自分が作家と呼ばれる存在になり、そして小さな分譲マンションでひとり暮らしをするなどと、夢にも思わなかった。

「もう会えないって? 突然どうしたの? 何かあったの?」

 いつものホテル待ち合わせではなく「今日はあの公園で夜の散歩をしましょう」という連絡がマコトから来た瞬間から、こうな ることがわかっていた気もする。でも、つい詰問してしまった。

「話して。黙っていたらわからないわよ」

 わたしは何を言っているのだろう? こんなことを、こんな口調で話すような女になりたくないのに。

「妻が……、救急搬送されました。

 最近の僕を不審に思った妻が、具体的に特定していないのですが女の影〟に気がついてしまった。以来、心の状態を崩してし まい、一昨日の夜、睡眠薬の過剰摂取で……」

 幸いにして命に別状はなかった。彼のお母様の死因が自死であることは聞いていた。それを打ち明けてくれたマコトを、そのときのわたしはきつく抱きしめてあげた。でも、今はちがう……。

「陽子さん」

「はい」

「僕の心は、陽子さんのものだ」

「はい」

「でも、この状態の妻を置き去りにすることはできない。人として許されない。だから……いったん終わりにさせてほしい」

 降っていた小雨はいつの間にかやんでいた。

「でも、陽子さんからもらったこのエルメスのネクタイ。これは、これだけはずっと身に着けていたいと思っている。迷惑かもしれないけど、いつの日か陽子さ」

「捨てて」

「え?」

お願いだから捨てなさいと言い直し、わたしは山崎 誠に背を向け、公園の出口へと歩き始めた。振り返らなかった。すべては 夢だったと思えばいい。あのちょっと低い話し声も、細く長い指も、わたしが一人の女であることを思い出させてくれた幾度もの夜も、背中越しに見ていた間接照明も、最初から存在しなかったのだ。 長く長くそして甘い夢から覚めて、また普通のおばさんの1日が始まるだけなのだと思えば、なんてことはない。あはは。  乾いた笑いを無理やりに漏らしながら、わたしは家までの道を歩いた。そして玄関の鍵を開け、疲労と虚しさを全身に感じながら、二階の自室に向かった。電気もつけずに、うつ伏せでベッドに倒れ込む。

「……何の音?」

 真っ暗な部屋のなかで、誠の言葉を反芻していると、誰もいないはずの別棟、「村澤税理士事務所」のほうから小さな声と、そして家具が擦れているような音が聞こえる。

「アッ、村澤先生!先生!」

聞きたくないのに、聞こえてしまった。 いや、わたしは窓を開け、別棟のほうへ自ら身を乗り出して”聞いた〟のだ。なぜだかすぐに確信した。あれは税理士事務所のアシスタント、高田佳美の声。たしか、41歳だ。 わたしはどうすればいいのだろう。別棟に乗り込んで、夫の頬を平手打ちにするべきか? いや、そんなことはできない。修羅場をご近所に聞かれたくないし、そもそもわたしは、夫の”その光景〟を見たくない。でっぷりと太って 枯れていると思っていた夫だが、わたしが「今日は、校了で遅くなります」と言った日に、こんなことをしていた。そうか、そうだったのだ。ショックじゃなかったといえば嘘になる。しかしわたしには、何も言う資格はない。先週までは誠と、もっと凄いことをしていたのだから。

「そうか……。 浮気していたのよね。やっぱり、夢じゃなかったのね」

そう独りごちると、初めて涙が出た。いつまでも いつまでも、嗚咽が止まらなかった。誠のこと。夫や子供のこと。 これからの家族のこと。 仕事のこと……などが暗闇のなか、上着も脱がないまま毛布をすっぽりと被っているわたしの頭の中を、ぐるぐると回った。このまま眠りに落ちてくれればいい。そうすれば、わたしは気が狂わないで済む。だが眠りという救いは、何も知らない小鳥たちがさえずる頃になっても、一向に訪れる気配はなかった。

 勤務先の出版社には、あの夜の翌日に辞表を提出した。 子供が独立してからと決めていた離婚調停は思いのほかスピーディに進んだ。財産分与で小さなマンションを買い、年金とレジ打ちのパートでも始めれば、今後の生活費はギリギリなんとかなる計算だ。

「普通のおばさんに戻るつもりが、孤独なおばさん”になっちゃっ た。自業自得よね」

 誠とのことを唯一打ち明けている中学時代からの親友、寿美に冗談めかしてそう言った。しかし寿美は真剣な顔で答える。「陽ちゃん、その気持ちをもっとどこかに吐き出したほうがいいよ。でないとあなた、壊れちゃうわよ」

 寿美に勧められるまま、四苦八苦しながら 『おばさんの恋』 というシンプルなタイトルのブログを開設し、とにかく書いた。心の内を吐き出し続けるように、 誠とわたしの出来事を書き綴った。最初は1日に数人ほどしか訪れないブログだった。しかしいつしか訪問者は1日数十人となり、千人近くとなった頃、「書籍化してみませんか?」と声がかかった。 「で、なんだかんだと単行本が2冊出て、その後も連載を 持ってるのだから、やっぱり陽子センセイはすごい才能だと思いますよ」と、詳しい事情は知らない担当編集の谷崎さっちゃんが、わたしの仕事場で明るく言う。 最近書けない私を心配してのことだ。

「でもセンセイ。センセイって顔出しNGの作家さんですけど、顎から下だけの写真は載せるじゃないですか?」

「うん」

「あのとき、なんでメンズのネクタイをブラウスに合わせ

るのですか? しかも、いつも同じエルメスだし」

「そうねえ。 特に意味はないの。ただなんとなくで」

 本当は違う。エルメスのネクタイはわたしの〝発信機〟だ。誠があのネクタイを捨てていても構わない。ただ、いつか気づいてほしい。「誠くん、大好きでしたよ」ということを。その一言だけを、ろくにお別れも言えなかったあの人に、わたしは伝えたいのだ。だからわたしは今日も、わたしたちにちょっとだけ似ているおばさんとおじさんの恋の物語を、書く

 (完)

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