60歳で還暦、61歳から人生は二週目という考え方があるそうです。年齢を重ね、子供たちも大きく成長して自立したことで、私は自分の人生について考え、長年連れ添った夫と熟年離婚しました。
人生100年時代、私のように離婚を前向きに捉えて新しい生活を送る人は少なくないようです。離婚してから自由になったからか、自分の思い通りに行動できるようになったからなのか、友人も増えて出会いもたくさんあり充実しています。
そんな私はなんと64歳にして運命の人を見つけたのです。
私は私の人生を大事にしたい
ずっと昔は一人の人と長く一緒にいる、一つの職場で勤めあげることなどが「良し」とされてきました。私の年代でもまだそう言っている人は少なくありません。
しかし、時代の流れを客観的に見ていると変化を受け入れている人が本当の幸せを見つけているように感じます。もう私の子どもは成人しましたが、彼らに対しても「変化を感じてそれを受け取って成長して欲しい」と願うばかり。
そう願うならば、私こそが子供たちの見本にならなければなりません。とは大げさではありますが、私が60歳を超えて熟年離婚をしたのは人生を大事にしたいからでだったということです。
夫に対して異性としての愛情はなく、ただの情のみで一緒にいたように思います。夫婦になったのだから最期まで寄り添わなければと思っていました。
しかし、これからも「お世話」という内容の家事をし続け、家族のために時間を割き、想いを伏せて生きることに違和感が出てきてしまったのです。
お友達に会って食事もしたいし、時には家事をせずにゴロゴロしたい時だってあります。今まで家族のために自分を犠牲にして(喜んでやっていました)やってきたので、これからの残りの人生は自分のために時間を使いたいと考えました。
幸い、夫はそんな私の考えを分かってくれ、離婚についてお金のことを含めて揉めることはなく、とても感謝しています。
実際に離婚をしてからは、疎遠になった友人に声をかけて食事をしたり、念願だった旅行に出かけたりして充実した日々を過ごしました。仕事も続けていますので、毎日が忙しいのですが満たされていました。
それぞれの人生を尊重できる彼との出会い
そんなある日、友人の一人に「紹介したい人がいる」と言われました。60歳を超えてからの紹介というのは、主に人付き合いの輪が広がるものばかりで、若い方々のように恋愛に発展するものは少ないようです。
輪を乱さない人、楽しく過ごせる人が集まり、嫌な気持ちにならずに過ごすことを大事にしている年代です。変な人を紹介するとも思えないので二つ返事でOKを出しました。
そこにやって来たのは、何ともダンディーな男性。70歳を目前にしているそうですが、足腰もしっかりとされており、話もユーモアを織り交ぜて、人を惹きつける魅力があります。
紹介し合い、お互いについて話をしていたのですが、何とも居心地の良さを感じます。夫と話す時の長年連れ添った感のある空気のようなものではなく、私を尊重してくれていることが分かる雰囲気です。
私という人間に興味を持ち、これまでの人生の選択についても肯定してくれます。彼も色々とあったようですが、それも経験として受け入れているのも心地いい理由だったと思います。
こんな人なら、それぞれの人生を尊重しあって、パートナーとして生きていけそうだな、と瞬時に感じたことを覚えています。
子供たちの反応
実はその時、すぐに連絡先交換を彼としていました。出会えた感謝の気持ちを伝えるとすぐに返信が。「今度は二人で会いませんか?」と。
私の心臓が本当に喉から出てしまうのではないかとびっくりするドキドキ感と高揚感。この感覚は久しぶりで知っているものです。恋愛に興味があったわけでは全くありません。でも、彼と会った時に他の人には感じない「何か」を感じていたのは事実です。
家庭もすでに持っている長女に連絡をして、今度男性と食事にいくことを告げました。出来るだけさり気なく伝えたつもりですが、「お母さんが楽しそうで良かった、応援してる」と悟ったような言い方につい微笑んでしまいました。
私たちの今後
食事をきっかけにして連絡をし合ったり食事に行ったりするようになり、言葉はないのですが私たちは他の人たちとは違う付き合い方をしています。
急速に私は彼に惹かれ、運命を感じています。一度彼は「このままの時間でいられたらいいなと思うんだ」とつぶやいていて、きっと本心なのだろうと受け止めています。
64歳にして、穏やかな恋愛をしています。夫との結婚生活に大きな不満がなかったのも、恋愛に後ろ向きにならないために、神様がそうさせてくれたのかもしれません。
人生に逃げずに向き合うと、満足した人生を送れる、そんな気にしています。出会いには年齢は関係ありません、それはすなわち恋の始まりにも年齢は無関係であるということですね。